
「伊藤長七アーカイブス」
記念フォーラム
2007年6月9日午後1時30分より
於 長野県立歴史館 |
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長七フォーラムは無事終了。
約150名の参加で、小規模ながらとても感動的なイベントでした。
粕谷一希さんが「今こそ親和力のある長七的教育が待たれる」という主旨の講演をされ、長七孫の伊藤博子さんが長七の一生を、残された原稿や書簡、史実をもとに詩的にまとめられ、朗読をされました。民芸で鍛えられた朗読力はさすがで、深く静かに長七の足跡を人々に語り、胸から胸へと思いの伝達がなされました。吉田健さんがスライドを映像として背景に瞬時さまざまに映し、朗読を妨げないその演出力も印象深かったと後で言う人が多かったです。
伊藤裕美さんが高校時代、長七長男の国男氏が院長だった練馬病院に入院、小石川の縁で国男氏に診てもらい完治されたとかで、博子さんに花束を贈呈。小諸や清稜関係、「寒水
伊藤長七伝」の著者、矢崎秀彦さんのお話などがあり、最後は紫友同窓会の会長、栗田亘さんが閉会のスピーチをされました。長七について再認識された旨、話されていました。
新聞社も取材にきて、翌朝の信濃毎日に早速載っていました。夜の懇親会では諏訪清稜や小諸関係の方々とも歓談、清稜の皆さんが長七作詞の校歌、「東に高き八ヶ岳・・」と高らかに歌われたのはとても生き生きと誇らかで、御詠歌の如き、我等の歌った校歌の劣勢は否
めませんでした。
前日のフォーラムの余韻を噛締めつつ、10日には10時過ぎに宿を後にしました。小諸の街をバスで通り抜け、寒水碑「小諸を去るの辞」(東郷元帥揮毫)を見に、曹洞宗の大雄寺という長七ゆかりの寺を訪問。なんと長七にちなんで、山号は立志山というそうです。
皆で碑の前でフォーラム成功を長七に報告、最後に俵一雄さんが「歌を歌わせて下さい」と突然に「千の風になって」の長七バージョンを朗々と皆の前で歌われました。私はなぜか目頭が熱くなり、85周年の時もそうでしたが、このように実利とは正に無縁のところで、一人の仲間がかくも熱く長七を歌い、その心持を皆が共有したことのこの一瞬のためだけにもここに居てよかったと思えました。
女性パワーもすごかったですが、何と言っても実現者の俵一雄さんと柴田知彦さんの働きは圧倒的な推進力となりました。華々しい絵空事とは違う、手作りながら、随所に光る演出と、一人でも多くの人へ、次代へ、と長七の精神をつないで行こうとするひたむきな思いに溢れたイベントでした。爽やかで清清しい空気が流れていました。
松木富美子
下の写真をクリックすると、 初代校長 伊藤長七の資料が見られます。 |
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