1. 君は知っている? 伊藤長七 初代校長のことを
私たちの母校の初代校長は、伊藤長七です。ご存知でしたか?
「知らないよ」 とか 「それがどうしたの」 という返事が大部分だと思います。
実は私たちもほんの数年前まではそうでした。「私たち?」って、85周年記念同窓会で 『 記念CD 』 作りを担当したグループです。
記念CD を作るのがきっかけで、私たちの母校での思い出の原点が、遠く 伊藤長七にあることを知りました。
あの「自由、創作、開拓」だって伊藤長七が始まりだったのです。
「とよあしはらの・・」。校歌の作詞も伊藤長七です。
いまだにやっちゃいけないことを羅列した校則がない学校なんですよ、小石川って。 とことん生徒を信頼した 伊藤長七 譲りなんです。

さあ、私たちと、伊藤長七探しの旅に出ましょう。そして、君の原点探しの旅に。

85周年記念同窓会の伊藤長七探しの旅の出発は、こんな出だしでした。
 

あなたは、家族や仲間に母校を語るとき、どんなときに誇りを感じますか。
過去に、東大入学者数が日本一だったことでしょうか。
いえいえ、こんなエピソードを語るときではないでしょうか。
「お父さんの学校で昔、こんなことがあったんだ。期末試験が始まる日の朝、新任の担任教師が自分のクラスの生徒を殴ったんだ。クラスは一致して抗議し、試験もボイコットした」
「それでどうなったの?」
「学校は生徒をいっさいとがめることなく、殴った教師を免職。その時の説明は、『もうこの学校には生徒を殴る教師はいません』。 担任を辞めさせてしまったんだから、このクラスは卒業まで担任無しのまま」
「ふーん」
「これ、いつ頃の話だと思う。太平洋戦争真只中の昭和18年。殴って教える軍隊式の教育が当たり前の時代の話なんだ」
あなたの年次にも、私たちが一個の人間として扱われていることを感じさせるエピソードはありませんでしたか。 そして、最も多感な青春期を、芯のある校風の中で、仲間と成長したことの喜びを語るとき、「誇り」を感じるのではないでしょうか。
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85周年記念 紫友同窓会
伊藤長七展に飾られた写真


伊藤長七展 会場風景


『我らは長七の教え子だった』
85周年記念紫友同窓会記念CD
録音風景。 朗読は加藤剛さん
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