85周年会の「まち歩き」記録
番外編 第 10 回  『 近江三都物語 』
(番外編を含めた通算 第 52 回)
今年の花見は ” 念願の” 長浜・近江八幡・彦根の桜めぐりとなりました。 タイトルは、7・8世紀に近江にあった3つの都、大津宮・紫香楽宮・保良宮を指す「三都」にちなんで柴田さんが名付けていたものです。
「まち歩き」ならぬ近江旧市街の「まち創り」を推進してきた、滋賀県立大学教授柴田いづみ氏と SKM設計事務所代表 柴田知彦氏のご夫妻による企画・案内で行われました。 また、いづみ氏の教え子で SKMに所属する出口氏のお世話も頂きました。
日 時 :
集合 :

ルート: 一日目:
二日目:
2014年4月12日(土) ~ 4月13日(日)
集合場所 : 米原駅東口、 集合時間 : 9時50分
米原 → 長浜 → 五箇荘 → 近江八幡 → 彦根 (宿泊)
彦根城 → 中堀巡り屋形船 → キャッスルロード → 四番町スクエア → 足軽辻番所 → 芹川 → 彦根 → 米原 (解散)
参加者 :
案内人 :
21名
017 柴田知彦、 018 柴田いづみ
 一日目 の スタート
東京からの当日新幹線組、前日から琵琶湖入り組、関西廻り組などが、車での柴田ご夫妻と米原駅前 現地集合でしたが、無事全員集合で出発となりました。

貸し切りバスで移動。 後部座席はサロンカー(宴会場)。 10:50 に長浜へ。

ここで、長浜城について。
1573年(天正元年)羽柴秀吉が浅井長政(小谷城)を攻め落とした功で織田信長から拝領した際、 今浜と呼ばれていた地を信長に因んで「長浜」と改名。小谷城を壊して築城した。
1615年(元和元年)廃城、資材は彦根城築城に流用された。

現在の城は1983年に模擬復元されたもの。

長浜のまち歩き
10 数年前の日曜日の調査では「人4人+ 犬1匹」と言われた寂れた街が、ガラス工芸などの街おこしによって なんと 現在は年間150万人の賑わいに復興した。
黒壁スクエア。 内部はガラス工芸館、ショップ

曳山を模したアーケードの入口

         博物館の広場
長浜曳山祭:日本三大山車祭ひとつ。 重要無形民俗文化財 子供歌舞伎で有名。
今年は 明日(4/13)~4/16に 開催だった。


街中の疎水と満開の桜

長浜御坊表参道



表参道脇の店 曳山祭の提灯が下がる

本堂(阿弥陀堂)入母屋造 重要文化財
大通寺は教如が1652年(慶安4年)に開基。
教如は大阪本願寺で信長に徹底抗戦した強硬派で、父顕如、弟准如と対立して本願寺を東西に分立した。 本堂の軒の出は 防雪のためか、非常に深い。


ここで一旦解散し、各自 散策と昼食をとり、13:15 長浜を後にした。

稚鮎の天麩羅を立ち食い ほろ苦くて旨い

昼食は、「焼鯖そうめん定食」

五個荘
サクラの時期であるために道路が混雑しため、五個荘(ごかしょう)に到着したのは3時前だった。
「五個荘町金堂地区」は 重要伝統的建造物群保存地区で、江戸末期から昭和初期にかけて活躍した近江商人の発祥の地。 故郷に錦を飾った商人達の屋敷と寺社が甍を並べる街並みが保存されている。
大城神社 : 集落の南東部に位置する郷社。 主祭神:高皇産霊大神 ・菅原道真。
豪壮な石組みが財を成した近江商人の力を表す。
観音寺城の鬼門に当たり、佐々木六角氏の守護神でもあった。
612年 厩戸皇子が小野妹子に命じて「金堂寺」を 建立させたことを創始とすると伝えられる。 織田信長と六角承禎(義賢)との戦いで焼失。 
徳川の世、大和郡山柳澤領となり復興。

五個荘寺町鯉通り、掘割には 錦鯉が泳ぐ

近江商人屋敷

広い座敷には 大きな鯉幟と五月人形

蔵の中に展示された大福帳。 俵氏が複式簿記について解説してくれた。

複式簿記は明治以降に西洋から導入された という通説を覆して、近江商人は江戸時代中期 元禄時代を過ぎて間もない頃に、すでに確立していたそうだ。 

五個荘から近江八幡に向かう車中から

安土城址

葭原が残る 琵琶湖「内湖」の佇まい

近江八幡
近江八幡市は、豊臣秀次が築いた城下町(安土の城下町を移した)を基礎として、近世は商業都市として発展した。 いわゆる近江商人の発祥の地である。 「近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区」の名称で、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されており、時代劇の撮影場所としてもよく使われる。 ウィリアム・メレル・ヴォーリズが住み、多くの近代建築作品を遺した地としても知られている。 地名のもととなった神社名は「日牟禮(ひむれ)八幡宮」である。

日牟禮八幡宮拝殿

日牟禮八幡宮本殿

八幡山
豊臣秀次が1585年(天正13年)に築城。標高283m、比高100mの急峻な山城。
現在はロープウェイで登れる。 山頂には、昭和38年に京都から移築された「村雲御所瑞龍寺(尼寺)」がある。

寺には、1930年代の宝塚スター 櫻 緋沙子さんが得度後に、小笠原日鳳 と名乗って入山していた。 近江出身の怪商 堤 康次郎の支援を受けていたという。

近江で勤めていたことのある 今西氏の説明が抜群におもしろい。

近江八幡市 八幡伝統的建造物群保存地区「八幡堀」
八幡堀は、天正13年(1585年)に豊臣秀次(秀吉の甥)が八幡山に城を築き開町したことに始まる。 秀次は八幡堀と琵琶湖とを繋ぎ、湖上を往来する船を城下内に寄港させることで、人、物、情報を集め、さらに楽市楽座制を実施することで城下を大いに活気づけた。

近江八幡のまち歩き

古い街並み

旧八幡尋常高等小学校校舎

現近江八幡市立小学校校舎

ヴォーリーズ設計の住宅

旧 八幡郵便局

「酒遊館」での夕食とセミナー

18:05 夕食会場「酒遊館」着

夕食は近江牛のローストビーフ
川端氏 と 尾賀氏から 近江商人 と 八幡堀保存 の話
八幡堀(全長 4,750m)は、昭和30年代もなると市民にとって忘れ去られた存在となり、やがて無用の長物から公害源となりました。 昭和40年になると、八幡堀に堆積したヘドロは 1.8メートル、総量50,000㎥、蚊やハエの発生源や市民による不法投棄の場所と成り果て、地元自治会は「駐車場や公園」などへの改修要望を市に陳情しました。
このような状況の中で、昭和47年に近江八幡青年会議所が 「堀は埋めた瞬間から後悔が始まる」 を合い言葉に、全市民へ浚渫と復元を呼びかけ、昭和50年に 「死に甲斐のあるまち」をまちづくりのコンセプトにした、新たな運動を展開します。
昭和50年9月になって、ついに滋賀県は進みかけていた改修工事を中止。 国にその予算を返上することになりました。

夕食後、彦根に向かって出発。 21:20 彦根キャッスルホテルに チェックイン。
目の前にある彦根城のサクラは、ホテルが「自前の投光器」でライトアップしていた。

【幽玄の桜】 魂を切る様な 凛冽たる桜

窓から夜桜を見ながらの 懇親会


 二 日 目


【夢幻の桜】 心華やぐ 華麗な桜
彦根城のサクラを堪能

ホテル前から 二の丸佐和口 多聞櫓

中堀に掛かる「京橋」

雪崩落ちる桜(船より)

石垣の上から 京橋を見下ろす

お堀巡り 屋形船
屋形船の乗船場。
船の予約の都合でここで二班に分かれ、それぞれ 待ち時間に城内を巡る。



堀に架かる橋を潜るために、屋形船の室内は天井が低い。

先に乗船した A班

後半の B班

表門橋。 内堀の石垣は二段に。 下から腰巻石垣(野面積)、土塁(犬走り)、鉢巻石垣(打込積)

内堀からの天守閣。 唯一のビューポイント

大手門橋

宝篋印塔が埋め込まれた石垣
彦根城は築城を急ぐため、近くの城から資材を集め築城したことは良く知られている。
石垣には宝篋印塔といわれる墓石や石仏、石棺までが積まれている。 織田信長が足利義秋のために70日で築いた旧二条城石垣には、8間(14.5m)の間に自然石150個、石仏等40個が積まれていたのだから、信長にとっては石仏なども確かに石材だったのかもしれない。 しかし、一般的には石材の補充と言うより「呪術」の意味を持っていたのではないだろうか。

彦根城 と 玄宮園
彦根城 : 別名「金亀城(こんきじょう)」、観音様が金の亀に乗って現れたことに因む。
天守 : 複合式望楼型3重、地上3階地下1階、1604年築、城郭は1622年に完成。
  天守 ・附櫓 ・多聞櫓の3棟が国宝指定。
  その他の櫓・門・厩(うまや) などの5棟が 国の重要文化財に指定。

  天守が国宝になっているのは「姫路城」「松本城」「犬山城」「彦根城」の4城のみ。
国宝 天守閣



天守閣が見えるように切られた樹木

天秤櫓

重要文化財の厩

玄宮園は、第4代当主 直興が1677年(延宝5年)に造営した大名庭園。 中国唐時代の玄宗皇帝の離宮をなぞらえて命名された。

11:50 お堀巡り終了。 キャッスルロードへ。

キャッスルロード

「山上」で “日野菜の漬物” を土産に購入
正式名称は夢京橋商店街。 「OLD NEW TOWN 」をテーマにした本町通りの街並みは、商人屋敷の良さを生かした江戸時代感覚の「新しい建物」に建て替えられている。

近江牛 昼食は近江牛のすき焼き

彦根のまち歩き

善利組足軽屋敷 辻番所

芹川の土手、ここにも 桜

逓信舎 (旧川原町 郵便局舎)

まち興しの土産物屋「戦国丸」
花しょうぶ通り商店街が 地元の有志 ・団体 ・大学(柴田いずみ氏の滋賀県立大学)と連携協力し、江戸後期木造民家を 昭和9年洋風に改装した郵便局舎(高崎邸 : 2011年 国指定登録有形文化財)を、コミュニティカフェ 他として開設した。 

”ひこね街の駅” 「寺子屋」で、彦根のまち創りを語る柴田夫妻。 
今回の「近江三都物語」を企画、案内をして下さいました柴田夫妻に感謝致します。
二日間 ありがとう御座いました。 

 
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