85周年会の「まち歩き」記録
第 42 回 (番外を含めた通算 第 51 回)
山手線の歴史をたどる - その2
一年前に初めて歩いた、田端 - 巣鴨間に続く 山手線の歴史 第二回目。 今回は 山手線と京成電車が半々の内容で、大正や昭和に発行された地図を見ながら、線路のガードや橋に加えて、トンネルを見て歩いた。 タイトルは
『山手線と京成線をつなぐ戦中秘話、京成線トンネル内に今も残る廃駅跡』
田端駅から上野駅に向かう途中の線路沿いで、案内人が 橋や踏切跡、戦中時の秘話などを説明をする。 へーそうだったのと思う内容がたくさんあり、楽しめた。
日 時 : 2014年2月22日(土) 集合場所 : JR田端駅南口、13:00 集合
ルート : 田端駅南口→間之坂架道橋→西日暮里公園→諏訪神社→諏訪坂架道橋→富士見坂→浄光寺→大黒天経王寺→下御隠殿坂橋→紅葉坂橋→ 芋坂橋→御隠殿坂橋→京成電鉄跨線橋→京成電鉄トンネル→寛永寺坂駅跡→寛永寺→国際子ども図書館→博物館動物園駅跡→上野動物園旧正門→上野東照宮→京成上野駅 (歩きは ここまで)
京成電車に乗って 車窓から 2つの廃駅を見る →京成日暮里駅東口→懇親会会場
参加者 : 29名、  打ち上げ : 25名
案内人 : 高橋俊一 ( 019 )

集合 : 田端駅 南口
2週に渡る週末の大雪で今回のまち歩きが心配されたが、久々の青空で気持ち良い。 参加者も 新顔を含め 30 名近くが 前回と同じ 田端駅南口に集合。 まずは 例によって、本日の資料(大正10年、昭和31年の地図と、年表)が配られた。 
頑張るぞと準備体操 西日暮里に向けて道灌山を下る
注 : 渡された地図や写真は著作権の関係で全体を掲載することができないため、報告書では 案内人から提供を受けた一部分だけを掲載する。 400 × 300ドット以下なら、許可不要。
 
間之坂架道橋
山手線では戦後に開業した唯一の駅である 西日暮里。 開業当初の東北本線は、上野までの道路との交差のほとんどが踏切だった。 上にホームがある間之坂架道橋では、現在 新幹線をいれて 合計10本の線路が通っているという。 そばには 開成がある。
西日暮里公園
間之坂を上ってふたたび道灌山の上に出る。 この辺の昔話として道灌山虫聴と言って、マツムシなどの鳴き声を楽しんだようだ。 日暮の里<ひぐらしの里>と呼び、江戸有数の景勝地としても有名だったという。 高台なので 北には筑波山、西に富士山が見えた。
途中、高村光太郎書の「正直親切」の記念碑を見学。 明りの関係で良く読めない。 
「正直親切は、あたりまえのことだが大切なこと。 正直でないと信用されない。 親切は、いつでもどこでも大切なこと。」

諏方神社 と 諏訪坂架道橋
日暮里(新堀)村・谷中町の総鎮守として崇敬を集めていた。 全国にたくさんある諏訪神社だか、ここは珍しく「諏方」と書く。
諏訪神社の奥には道がある。 階段を下っていくとコンクリート製のガードがあり、多くの線路をく ぐって、向こう側に行ける。

西日暮里駅を見る

浄光寺(雪見寺)と 六地蔵
諏方神社の隣が浄光寺。 説明板には「江戸 六地蔵」 とあったが、巣鴨の真性寺のように 街道筋に建立された大きな六地蔵とは違うようだ。 吉宗が鷹狩りで立ち寄ったとかで、ここも眺望に優れ 特に雪景色が素晴らしかったので 雪見寺 の別名がある。


←先週の雪の名残

富士見坂
区内で唯一、実際に富士山が見える坂だったのだが、遠方に新しいビルができたせいで、見えなくなってしまった。 以前見えたときの写真などが飾られている。


昔の写真が掲示板に

坂道にも富士山マーク

街灯にも(案内人提供 2011年の写真)

諏訪台通りを歩き、日暮里駅に通じる道を 左に折れる。

経王寺
慶応 4 年(1868)の上野戦争のとき敗走した彰義隊士をかくまったため、新政府軍の攻撃をうけることとなり、山門には今も銃弾の痕が残っている。

山手線に架かる橋
佃煮などの買い物をする人あり。 御殿坂を下っていく。

ここからは日暮里駅そばの 4 つの橋、下御隠殿坂橋、紅葉坂橋、芋坂橋、御隠殿坂橋の見学。 案内人高橋俊一さんのホームページからの地図で、それぞれの位置を確認してください。
1937年(昭和12年)修正の地図 / 国土地理院
    下御隠殿坂橋   紅葉坂橋      芋坂橋     御隠殿坂橋   京成線

下御隠殿坂橋
今下ってきた坂の名前「御殿坂」と、橋の名前が食い違っている。 さらに南にある 「御隠殿坂橋」と一緒に考えなければならないようだ。 橋からは 10 以上の線路が広がり、カラフルな色の電車が通り過ぎるのが見ることができる。 子供たちも見下ろしている。
東北新幹線は この先で地下に入るようだ。
4本: 山手線、京浜東北線
2本: 新幹線
4本:東北本線(宇都宮線・高崎線)
2本: 常磐線
1本: 京成電鉄上り線、
            合計13本

く ぐる線路: 京成電鉄下り線 2本

紅葉坂橋
谷中霊園横の線路沿いの細い道を左に曲がって行く。 数分で日暮里駅のプラットホームの真上にある人道橋に着く。 この橋は 大正末か昭和初期に開通したそうだ。 橋の幅は4mぐらい。 とんがり帽子のある駅舎は比較的新しく、新幹線の上部にある。

駅の屋根は、昔は山形だったようで、向こうの跨線橋の階段両脇に 斜めの跡が残っている と案内人が説明してくれる。

緩やかな坂(階段)を天王寺方向に上っていく。 
いつものまち歩きとは違って 天王寺は横目で見て、次の芋坂橋に向かう。
芋坂橋
この付近で自然薯(山芋)が取れたことから芋坂と言われている。 東北本線ができて踏切となり、昭和になって人道橋が架けられた。 手摺りは造り直されているが、古レールの本体は芸術作品であると案内人。


踏切跡、今は行き止まり


御隠殿坂橋
線路に沿って墓地の中を歩いていく。 御隠殿坂橋が見えるところで説明が始まる。
「御隠殿」とは、寛永寺の住職 輪王寺宮法新王の別邸で、御隠殿坂は境内から別邸へ行くための道として、江戸時代に作られた。 東北本線ができて踏切となり、昭和になって人道橋が架けられた。 芋坂橋の古レールとは対照的な、コンクリートの橋である。
そして案内人は、終戦間際に、京成電鉄に山手線をつないでトンネル内に客車を引き込み、運輸省の司令室として使う計画が実行された と説明してくれた。 日暮里駅の方から土手を築いて斜路を作り、京成電鉄に線路をつないだということだ。

案内人が状況証拠としてあげたのは、戦後に御隠殿坂橋を撮った空中写真だ。
1948年(昭和23年)米軍撮影の空中写真/国土地理院
案内人提供
写真サイズ:
400 * 252
御隠殿坂橋の1スパンが取り外されている。 
現場でその復旧部分は境目(継ぎ目)が不揃い。 よく見ると、新(右側)、旧(左側)で骨材(豆砂利)のサイズが、かなり違う。これが桁を取り外した証拠だとも説明する。

御隠殿坂橋から、京成電鉄の電車が JR の線路の上を急なカーブをゆっくりと曲がりながら走っているのが見える。

次は、問題の京成トンネルと 線路をつないだ場所を見に行く。
御隠殿坂にひっそりと春の印の水仙が咲いていた。

京成電鉄トンネル
先ほど説明の京成電鉄トンネルを見学。 さらに山手線が京成本線に接続されたという場所に行く。 京成本線のカーブ内側に接続用線路が作られたが、戦争後に取り外され、新しい擁壁が作られた。 左側は昔の石垣が残っているのが証拠だそうだ。
ここで記念写真をとる。

寛永寺坂駅跡
寛永寺に向かって歩いていくと、古い倉庫がある。 実はこれが 京成線 寛永寺坂駅の跡だという。 そばには昭和 16 年(1941年)12 月 8 日の真珠湾攻撃の日付と、国威宣揚が刻まれている国旗掲揚の台があった。

寛永寺
天台宗 関東総本山、開基は徳川家光、初代住職は天海。 徳川家将軍家の菩提寺の一つ。 かつては上野の山全部が寛永寺領だったが、1868 年(慶応4年)の彰義隊の戦で伽藍のほとんどが焼け、新政府に没収されて公園や博物館となっている。
瓦に「寛永寺」が見え、葵の紋も金色に輝いていた。

国際子ども図書館
1906 年(明治 39 年)帝国図書館として建設され、昭和初期に正面が対称形の現在の形に増築される。(それでも全体計画のほんの一部だった)
安藤忠雄のデザイン+日建設計で 2000 年に「国際こども図書館」として再生。

だれでもはいれて一見の価値があるが、団体で訪れる施設ではないので、本日は パス。

博物館動物園駅跡
1945 年(昭和 20 年) 6月 トンネルを防空壕として使うために接収、営業休止。 1945 年9月営業再開。 1997 年(平成9年) まで使われていた。 2004 年(平成 16 年) 廃止。 現在でも2面(線路の両側)のホームその他は健在。 あとで電車内から「見学」できるか。

この建物も昔の駅の跡。 駅名がかすかに残っている。

上野動物園 旧正門
1882 年(明治 15 年) 開園。
残っている 旧正門がいつ造られたものかは不明。

上野東照宮
建物は 重要文化財、金ピカの門の両脇にある透かし彫りは、左甚五郎 作とあった。
五重塔は動物園の中。

東照宮ぼたん園は今が冬牡丹の一番良い時期なのか。 有料なのと時間もないので、外からの見学で我慢。 なかなか囲いがしっかりしていて、タダ見は難しかった。

京成上野駅
上野の山を歩いて下りて行く。 京成電鉄で一駅だが、その間で 先ほど見た二つの廃駅のホームを見ることができるという。

京成電車に乗り、2 つの廃駅を車窓に見る。 残念ながら、暗いので写真には取れなかった。 (次の写真は案内人 提供)

旧 博物館動物園駅 旧 寛永寺坂駅
博物館動物園駅跡は、普通の駅と同じサイズかなと思ったが、寛永寺坂駅跡は高さもなく小さな駅に見えた。 再度の機会に再確認で見るようにしよう。

下り電車は山手線を越えて、日暮里駅の二階ホームに着く。 上野-日暮里間だけ乗る人は少なかった。

京成日暮里駅東口
この先に階段があったという。 別の場所にエスカレータができたため、今は切り取られた跡だけが残っている。


懇親会
駅の隣のビルで 恒例の懇親会。 次回は近江の番外編の予定だが、残念ながら計画発表は先送りとなった。

 
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