長七と藤村の浅からぬ因縁
長七が五中で行ったいろいろな行事の中で特筆されるのは「夏期転地修養隊」ですが、この行き先については藤村に相談したそうです。そして藤村の答えは「それなら信濃の神津猛さんのところがよかろう」ということでした。神津さんは快諾。長七は第1回の生徒120人をつれて行ったのですが、その中にのちに「騎馬民族征服王朝説」で知られる考古学者・江上波夫さんがいたのですね。江上さんは日経の『私の履歴書』にも書いていらっしゃいましたが、そこで古墳の出土品に接したのが考古学の道に進むきっかけになったのだそうです。こうしたことも、みな長七の教育の成果として語られています。生徒にさまざま体験させ、生徒と触れ合うこと、そこに五中の校風が育まれたのだと思います。
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