85周年会の「まち歩き」記録

『春の皇居・丸の内界隈 まち歩き』

    新緑溢れる春、さわやかな風を楽しみながら、皇居東御苑の散策、歴史を感じさせる丸の内界隈の建物見学、 昔風に改修された東京駅と東京ステーションホテルや東京国際フォーラムガラス棟の見学・まち歩きを楽しむ。
今回もそれぞれがプロ並の説明つきです。それでは皆さんも楽しんでください。


[まち歩き]
日 時:
2013年5月18日(土)  集合場所:東京メトロ東西線「竹橋」
ルート: 1)皇居東御苑 平川門橋→平川門→都道府県の木→諏訪の茶屋→二の丸庭園→菖蒲田→新雑木林流れ→孟宗竹林→二の丸休憩所→二の丸雑木林→汐見坂を登って天守台へ→天守台→本丸跡の芝生を左に見て→石室→茶畑→富士見多聞→松の廊下跡→富士見櫓→中雀門→大手中之門→大番所・百人番所・同心番所→大手休憩所→尚蔵館→大手門  2)平将門首塚→東京銀行協会ビル前→日本工業倶楽部会館前→東京駅丸の内北口 3)東京駅…「北ドーム」干支のレリーフ見上げ→「東京駅」駅名碑→東京ステーションホテル(フロント・ラウンジ)→「南ドーム」2階回廊一周 4)明治生命館 東京中央郵便局「JPタワー:KITTE」→明治安田生命保険ビル→丸の内仲通り→三菱一号館広場→「丸の内ブリックスクエア」を通り抜けて→三菱一号館美術館前→大名小路=一丁倫敦 5)東京国際フォーラム 太田道灌銅像→東京国際フォーラムガラス棟内スロープや架け橋散策→東京国際フォーラムでまち歩き終了 6)ラクチョウビル10階「成城クラブ」
参加者: 29名 (懇親会:21名)
[世 話 人] 案内人:荻原、川口、梅島

<スタート>
写真を見ながら楽しんでください。
「竹橋」1a出口に集合。皇居一周マラソンの大会や練習の人で気をつけないとぶつかってしまう。本当に良く晴れているが風があるので、思っていたよりは涼しい。14:00に平川門に向かいまち歩きスタート。


1) 平川門橋
昭和63年に改架された姿の美しい木橋(台湾ひのき製、橋脚と橋台は石、脚桁は鉄骨)で、長さ29.7m、幅7.82mです。ここから入るのが、一番風情がある。ちなみに、竹橋は北の丸公園と東御苑の間の道路に入る駅北側の大きな道路橋です。
2)平川門
江戸城三丸の正門。死者・罪人を運ぶので不浄門。奥女中の通用門であったのでお局御門の名もある。門・枡形も現存。平川濠を右手に見ながら進み、入り口受付に向かう。

今回、入り口で入園票をもらう。退園時に返すので、失くさない様にとの注意。一時はフリーパスであったともいう。天神濠を左手に見ながら進む。園内は皇宮警察のパトカーが周回している。ちょうど折り返すところだった。
3)都道府県の木
雑木林がある。今は新緑の真っ最中。気持ちもゆったりとしてくる。 各都道府県から贈られて植樹されている。諏訪の茶屋(明治45年再建の茶室風建物)は、明治時代に吹上御苑に建てられたものを移築した。
4)二の丸庭園
昭和43年の一般公開に当たって復元された回遊式庭園。小堀遠州作の池水は現在とほぼ同じ場所。灯籠・滝・蓮の花・大きな鯉・藤棚・菖蒲田がある。外人の観光客も多い。カップルの外人がベンチでゆっくり。東京にもこのようにノンビリできるところがあったのだ。ベンチがもう少し多くあるとよさそうだ。

ヒメコウホネ(スイレン科)の小さな花が水面に広がる。ヒレナガニシキゴイ。今上陛下のご発案により、インドネシアのヒレナガゴイと日本のニシキゴイを交配して生まれたもの。長い鰭が特徴。

5)新雑木林から二の丸雑木林
孟宗竹林(筍がすごい)  二の丸雑木林は、昭和天皇のご発意により武蔵野の面影を持つ樹林として、昭和57年から60年にかけて整備された。
汐見坂を登って天守台へ向かう。左手に白鳥濠が見える。昔、この坂から海(日比谷入江)を眺めることが出来たそうだ。天守台に向かう。
6)天守台
江戸城最後の天守閣は1636年、徳川家光の時代に完成し、1657年の振袖火事(明暦の大火)で焼失したきり再建される事なく現代に至っている。天守閣は5層6階、天守台を含めた高さは58m。現在天守台は見晴らし台になっている。記念集合写真を撮る。
前の芝生とその周辺は江戸城本丸御殿の建物が立ち並んでいた。本丸御殿は、写真の奥のほうから「表、中奥、大奥」の3つの空間に分かれていた。表は、将軍の謁見など公的な儀式・行事、幕府諸役人の執務の場で、中奥は将軍の日常生活、政務を執る場、大奥は御台所と呼ばれた将軍の正妻をはじめ家族や女性たちの生活の場でした。
東側に「桃華楽堂(皇室の音楽堂)」が見える。桃華楽堂は昭和41年に香淳皇后(昭和天皇妃)還暦記念で建築された。外壁は陶片壁画。
7)本丸跡の芝生を左に見て富士見櫓へ
竹林は、昭和天皇がそのお印であった「若竹」にちなみ喜寿の記念等に宮内庁職員から贈られ、吹上御苑に植えられて いたものを移したもの。13種類ほどある。キンメイモウソウやキッコウチクが面白い色彩や形であった。

石室とは。抜け穴とか、金蔵とか諸説があるが、大奥御納戸の脇という場所柄から、非常の際の、大奥用の調度などを納めたところと考えられる。内部の広さは、20平方メートルある。 伊豆石(伊豆半島産の安山岩)で作られており、天井には長い石の板が使われている。

バラ園で珍しいバラを写真撮影。ツクシイバラは、白い小さな花びらで、葉やとげを見ないとバラか分からない。
ツクシイバラ サンショウバラ ナニワイバラ
富士見多聞とは。「多聞」とは、防御をかねて石垣の上に設けられた長屋造りの倉庫のことで、多聞長屋とも呼ばれていた。 鉄砲や弓矢が納められ、戦時のときには格子窓を開けて狙い撃つことが出来た。本丸の周囲は、櫓と多聞で囲まれて万が一に備えられていた。
松の廊下跡(石碑のみ、冗談みたいに松は植わっている)の前にはガイドが一所懸命に説明をしていた。
クスノキの巨木が頼もしい。
富士見櫓とは。明暦大火後1659年再建、天守閣の代わり。両国の花火、品川の海や富士山をご覧になったといわれている。どこから見ても同じ形にみえるために、俗に八方正面の櫓とも呼ばれる。
中雀門を曲がる。そろそろ後半。
8)大番所・百人番所・同心番所
番所とは、警備の詰め所のこと。百人番所(大手三之門警護)。本丸と二の丸に通じる要所である三之門の前に設けられた番所。鉄砲百人組と呼ばれた甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組の4組が昼夜交代で詰めていた。各組には同心が100人ずつ配属されていた。青空に映えるいろいろな形の組み合わせがきれいな石垣模様。
9)三の丸尚蔵館
皇室から国家に寄贈された品々を保管展示。平成5年開館。現在「若梅に撫子---旧高松宮家と伝来の品々」を展示中。入館無料。入館。瓢箪形丁子風炉(江戸時代)パンフレットから
10)大手門
旧江戸城正門。旧大手門渡櫓の鯱が飾られている。青空に舞い泳ぐ鯱。大手門は、1620年(元和6年)築造。明暦の大火で類焼。1659年(万治元年)再建。1967年(昭和42年)復元工事完成。
大手門を出て、右側が桔梗濠で、左側が大手濠。これで今回、5つのお濠を見学したことになる。他にまだ3つほどのお濠がある。ここまでで、約1時間半経過。
桔梗濠 大手濠
大手門の橋を渡り、左に折れて、将門首塚に向かう。
ビルの解体作業が行われている。二つのビルの解体が同時に開始されたが、下から壊していく(右側半分)のと上から壊していく(左側の囲いのあるもの)方法があり、下からの方式が優れているとの案内人の説明。
ウエブを調べると、「下階からの解体」が持つメリットを最大限に活かし、鹿島が2005年に開発した環境配慮型次世代解体工法「カットアンドダウン工法R」の説明があり、作業エリアを下層階に限定することで、重機や人の上下移動を無くし、超短工期を実現できるという。
11)平将門首塚
1307年(徳治2年)時宗他阿真教上人により鎮魂。首塚そのものは関東大震災で損壊(荒俣宏によると関東大震災自体が将門の崇り)。その後大蔵省仮庁舎を建てたが、工事関係者・省職員・大臣早速整爾の相次ぐ不審死により仮庁舎を取壊す。1926年(昭和2年)将門鎮魂碑建立(神田明神宮司祭主)。第2次大戦後GHQが区画整理しようとしたが相次ぐ不審な事故のため計画取止め。将門の首が京都から飛んで帰ったことから、必ず「帰る(カエル)」に引っかけ蛙の置物を供え復帰の願掛けがなされている。
サラリーマンにとっては、遠くへの転勤などで、必ず帰ることが出来るようにと、かえるを飾り、願をかけたと言う。かえるがあちこちに飾られている。
12)東京銀行協会ビル、日本工業倶楽部
東京銀行協会ビルから日本工業倶楽部会館の前を通過する。
13)東京駅と東京ステーションホテル
北口のドームの前で、免震装置の説明を聞く。これが免震で動く余裕の間隙だとはあまり気がつかない。
八角形の「北ドーム」を見上げる。天井最上部から円形を飾る花飾りのレリーフ、白い鷲の彫刻、青地の干支のレリーフ(12からどうやって8つを選んだのか?東西南北の4つをはずしたと言う人もいた。)、兜型(秀吉の兜)のキーストーン、剣型のレリーフ、鳳凰型のレリーフが飾られている。 右は「東京駅」駅名碑
東京ステーションホテル(フロント・ラウンジ)の中を通って、南ドームの2階回廊に上がる。さすが、天井が良く見える。又、上方から乗客のあちこちへの動きは興味を持ってしばし見続けることが出来た。「南ドーム」2階回廊一周を楽しむ。

14)東京中央郵便局「JPタワー:KITTE」
1階の郵便局内(保存復元部分)を通過。昔と同じ柱を使っているということか、昔の面影が残っていてうれしい。
15)明治生命館
4時半までに入らないといけないと言うので急いで移動。外観も良く見ると装飾が対称や繰り返し模様などですばらしい。1997年(平成9年)重要文化財指定。1934年(昭和9年)竣工。岡田信一郎・捷五郎(兄弟)設計、内藤多仲構造設計、竹中工務店施工。明治安田生命保険の本社屋として現役利用中。1階~2階、2階各執務室を見ることが出来る。なかなかのもので、必見です。
幹部用の食事を運ぶ料理用の小型エレベータもある。床大理石にはアンモナイト化石を見つけることができると言う。これはアンモナイト化石か?

16)三菱一号館広場
三菱一号館広場「丸の内ブリックスクエア」。 三菱一号館美術館の裏手を通り抜けて大名小路=一丁倫敦に出る。
 ※三菱一号館…1894年(明治27年)竣工。ジョサイア・コンドル設計。
  1968年(昭和43年)解体。2009年(平成21年)復元。

17)東京国際フォーラム
写真左上は太田道灌の銅像。太田道灌は、室町時代後期の武将なので、直接江戸幕府とは関係ない。
日本初国際公開コンペ、ラファエル・ヴィニオリ設計。1996年(平成8年)竣工。2003年(平成15年)民営化(.東京国際交流財団⇒㈱東京国際フォーラム)により黒字化。ガラスで全面を覆われているので、強風などの気候の急激な変化にも耐えることが出来るような工夫として、弓形の梁が全体に張り巡らしてあり、変形を防止しているとの説明(報告者の解釈)があった。
7階に昇り、あそこのスロープを歩くことも以前は出来たと説明していると、子どもがスロープで走って遊んでいる。これは我々も行けるのだなとチャレンジ。ガラスに沿ってスロープをゆっくりと下っていく。横断する橋も渡ることが出来た。鳴き龍だといって大きく柏手を打つ人も出る。
懇親会
ここで街歩きは終了。
10分弱歩いてラクチョウビル10階「成城クラブ」に移動。少し早めに着いたようで、急いで用意をしてもらう。会話も弾み、時間も過ぎていく。かくしてまち歩き恒例の懇親会も終了。
なお、番外として、奈良でのまち歩きも提案されていました。
 
 
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