85周年会の「まち歩き」記録

第31回 『 浜松町・芝・大門 』

    芝は、浅草・神田と威勢のよさを競った下町だった。品川から新橋にかけて、明治時代の海岸線はちょうど今の山手線の線路と一致する。浜松町駅周辺は、それこそ浜辺の松原で、東京湾の波が打ち寄せていた。その面影を求めてのまち歩き。
蒸し暑く、ペットボトルの水を頼りにまち歩きは、浜松町駅北口からスタートした。今日は東京湾の花火大会で竹芝桟橋周辺は浴衣姿の若い娘であふれている。
今回は案内人のまち歩き案内の内容を<参考>として利用させてもらっている。
また、松木さん(017)の短歌を挿入しています。
[まち歩き]
日 時:
2012年8月11日(土)  集合場所:JR浜松町駅北口  集合時間:14:00
ルート浜松町駅北口→竹芝桟橋→旧芝離宮恩賜庭園→福沢・近藤両翁学塾跡→御成門・有章院霊廟二天門→増上寺→徳川家霊廟→増上寺旧方丈門(黒門)→旧台徳院霊廟惣門→芝東照宮→伊能忠敬記念碑へ→増上寺鐘楼堂→大門→ふれあいの湯→懇親会会場: 新亜飯店→花火見学→カラオケ
参加者12名(途中1名追加参加) 懇親会:14名(途中1名追加参加)
[世 話 人] 案内人:笠井(016)

<スタート>
浜松町駅北口
14:00集合。相変わらずの一名が少し遅参し、言い訳を言わせてと説明。
北口を右に竹芝桟橋に向かって歩き始める。夕方からの東京湾花火見学のためか、浴衣姿の若い女性が多い。甚平を着た若者もいた。
<解説>浜松町の名前は
増上寺の代官・奥住久右衛門が、この辺りの名主だったことから、「久右衛門町」と呼ばれていたが、元禄時代に遠州浜松出身の権兵衛という人物が名主になり、「浜松町」に変わった。さすがに昔の人も「権兵衛町」ではおかしいと思ったのだろう。

竹芝桟橋
本日の東京湾花火の場所取りがすでに始まっていて、ビニールシートがびっしりと敷かれ、席を守る人があちこちに座っている。

  ・ とりどりに浴衣着て若きひとら過ぐ花火
見むとや華やぎにつつ  
「ニューピア竹芝」でしばし潮風を受けながら楽しむ。
花火の打ち上げ場所は、はしけ?のようだ。たぶんこれだろうとデジカメの拡大で撮影。
<解説>竹芝桟橋
1941年に整備され、外洋航路の発着もあったというが、今は伊豆諸島や小笠原諸島と結ぶ船や、東京湾内のクルーズ船などが発着する。再開発によって「ニューピア竹芝」と名付けられ、おしゃれな客船ターミナルもできた。
旧芝離宮恩賜庭園
浜松町方面に戻り、旧芝離宮恩賜庭園に入る。65歳以上は大人150円の半額で70円。一部65歳以上の仲間と同じ年齢に不満の人もいたようだが全員65歳以上で押し通した。
池には10cmから20cmほどの亀がすいすいと泳いでいる。石に登って来て、日向ぼっこ?する亀も数匹。
がまの穂の先に仲間は進んでいる。根府川山の石の塊を見て、大きな一枚岩の橋を渡る。
この九尺台(九盈台)と呼ばれる高台の先は海だったそうだ。明治天皇も明治8年に行幸されたと書かれてあった。 海水取入れ口の跡も残っている。
この公園の夏に咲く花たち。
<解説>
元禄時代の老中・大久保忠朝の上屋敷に始まる庭園で、小石川後楽園と並んで江戸の面影を残す名園といわれる。浜離宮と同じ汐入りの池だったが現在は海と遮断され淡水池になっている。石造りの堤は、中国杭州にある西湖の堤を模したものである。
福沢・近藤両翁学塾跡
浜松町駅北口前の横断歩道を渡り、新橋方面に行く。平日は飲み屋街のようだ。少し行ったところに福沢・近藤両翁学塾跡がある。碑が残っているだけ。何の花か、そばに咲いていた白い花。
<解説>
幕末期、伊豆韮山の反射炉築造で名高い江川太郎左衛門が、この場所に「鉄砲訓練所」をつくり、海へ向かって大砲をぶっ放していた。この訓練所は、桂小五郎・橋本左内・黒田清隆・大山巌などの人材を輩出する。その後、福沢諭吉が跡地を譲り受けて「慶応義塾」を開いた。塾は明治4年に三田へ移り、近藤真琴の「攻玉社」が引き継ぐ。海軍の予備校のような学塾で、日露戦争で戦った海軍将校の5人に1人は「攻玉社」出身だったという。
大門のほうに歩いていく。中華系のお店が多い。この辺も中華街への移行中か。
通りの両側に、百日紅の白、赤の花が暑さに負けずに咲いている。

  ・若木なるさるすべり花を揺らしつつ
初々しくも街路に並ぶ 
 
御成門・有章院霊廟二天門
保存状態があまりよくない。少し色などがあせてしまっている。
<解説>
御成門は増上寺の裏門。将軍が寺に参る時はこちらの門を通ったので、この名がある。もとは交差点の場所にあったが、1892(明治25)年、日比谷通りが開通する時、現在の場所に移された。
すぐ隣のプリンスホテル敷地内にある「二天門」(国・重文)は、七代将軍・家継の霊廟の惣門(外門)。霊廟は戦災で焼失した。
増上寺
門を入るとすぐ右手に大きなヒマラヤスギがそびえている。これは米国18代大統領グラント将軍が明治12年に参詣した記念植樹。東京タワーをバックに増上寺。
<解説>
増上寺はもともと麹町あたりにあったが、通りかかった家康が目にとめ、徳川家の菩提所にしたと伝えられる。徳川家の庇護のもと、敷地20万坪、山内寺院48寺、学僧3000人という大寺院になった。高さ21mの三解脱門は1623年に建てられた国の重文。この門をくぐると、「むさぼり」「いかり」「おろかさ」という3つの煩悩から解き放たれるとされ、三解脱門の名がある。江戸時代は、この門の上から町や海を眺める展望台のような役割も果たしていたようだ。
徳川家霊廟
門は閉ざされている。が、やはり覗いてみたいものだ。木が邪魔で写真にはうまく撮ることができなかったが、両側に宝塔が3つ、4つと並んでいる。門には葵のご紋が金色に輝いている。
<解説>
6人の将軍以下38人が葬られている徳川家の霊廟は、境内右手「安国殿」の後方にあるが、中には入れない(ちなみに、お江や篤姫の墓所もここにある)。昔は、プリンスホテルがあるあたりに壮麗な霊廟が立ち並んでいたが、残念ながら戦災で焼失し、ここに改葬されている。
戦前、秀忠とお江の霊廟は、本堂の左手奥に、それだけで一つの寺院であるかのような規模で建っていたが、木製の大宝塔も含めて全て焼失し、ゴルフ練習場になっていた。最近、再開発が進み、遺構なども出てきたので、公園広場のようになっている。
増上寺旧方丈門(黒門)と旧台徳院霊廟惣門
増上寺旧方丈門(黒門) 旧台徳院霊廟惣門
全体が黒漆喰であったので黒門と呼ばれた。四脚門と言われるが6本のように見える。 門が重要文化財、左右の2体の像は、港区指定有形文化財。
芝東照宮
この近辺を歩いたことがあるが、いろいろと見るものがあったのだ。お江とも関係があるので、有名になったのかも。
<解説>
増上寺の少し三田寄り、日比谷通りから階段を上った所に「芝東照宮」がある。家康を祀っていた増上寺内の安国殿が、神仏分離によって分けられたもので、家康の木造坐像が安置されている。
丸山古墳跡と伊能忠敬記念碑
日本地図は平らでなく、地球の球形を考慮して少し丸みがあるのが、そばで見ると分かる。 公園のひまわりの花とバックの東京タワー。
<解説>
明治6年、政府は東京市内に公園設立を命じた。真っ先に選ばれたのが広大な増上寺の寺域で、当時は園内への居住が認められたため、多くの文化人が集まった。北村透谷は園内2か所に住み、最後はここで自殺する。志賀直哉一家は寺の旧学寮で明治23年から7年間暮らし、島崎藤村や吉井勇も居を構えていた。
園内の左端に小高い山がある。4世紀末に築かれた「丸山古墳」だ。前方後円墳だったが、増上寺の築造や戦後の再開発で原型を失ってしまった。伊能忠敬が全国測量の旅に出る前、ここの斜面で実習を行ったので、頂上に記念碑が建っている。中腹には桜の木がたくさんあり、春は花見客でにぎわう。
増上寺鐘楼堂
5時に鐘が打たれると言うので、少し前に鐘楼堂前に着いて待つ。青い袈裟を着た若い坊さんが来て、鐘楼堂に登る。おもむろに準備体操をする。確かに何回も力を入れ、全身で打つので準備体操が必要なのだろう。さらに、懐から携帯電話を出し、そばに置き、最終準備完了。体を後方に大きく振って、勢いをつけて鐘に打ちつける。
     ・ 鐘打たんと鐘楼に登りし若き僧まずは屈伸体操をする
     ・ 体反らし返す力で僧の撞きし鐘じょんじょーんとわが身に至る
     ・ 苦か楽かはた祈りなるか増上寺の鐘撞く僧のこころは知らず
     ・ 月光の見えぬは信仰なき故と法然の一首はやんはり諭す
<解説>
「今鳴るは 芝か 上野か 浅草か」と詠まれた鐘は、重さ15トンで東日本最大。 俗に「一里鐘」とも呼ばれたが、ひと打ちの響きが聞こえている間に一里先まで歩けるからだという(まさか!)。毎日、午後5時に撞く音が聞ける。
芝大門
<解説>
正面で道を半分ふさいでいるのが芝大門。増上寺の惣門(外門)だが、江戸時代からあった木造の門は両国の回向院へ移り、昭和12年にコンクリートで造られた。とはいえ70年以上は経つので、それなりの風格はある。
ふれあいの湯
将藍橋のたもとの銭湯、わいわいと入っていきました。港区立公衆浴場で、入湯料450円。女性2階、男性3階。ビル形式の銭湯。大変混雑している。男の洗い場は7名分しかない、こじんまりしたお風呂。
蒸し暑い天気でべとついていたので実にさっぱり、すっきりしました。汗をかいた後はお風呂に限る。江戸っ子だい。 その後の冷たいビールの醍醐味・・・。生きているのは素晴らしいと思う瞬間を楽しみに懇親会会場に向かう。
橋の下には船が何艘も繋いであって海に近い芝の情緒もありました。

  ・舟いくつ舫ふ将藍橋あたり
小さき銭湯のじんと熱き湯 
 
懇親会 & 東京湾花火
懇親会会場は「新亜飯店」。小龍包は昔から評判で、夜は予約がないと入れないほどの混みようだ。
東京湾花火:通りで多くの人が花火を見ている。同じ野次馬として10分近く花火を楽しむ。ビルの間からの花火見学も良い経験だ。
      ・ ビルとビルに切り取られたる細長き空につぎつぎと花火上がりぬ
 
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