<6月1日金曜> |
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朝の散歩 |
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松花江に沿っての散歩開始。すでに8時にはホテルの前の広場には、多くの人が散歩をしている。また、踊りを音楽に合わせて踊っている。中国人の観光グループもすでに動き初めている。今日も晴れだ。
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松花江の川幅は1kmもあり、冬は凍結して、川の上ではスノーモービルなどの遊びができるようだ。ハルビンは黒龍江省の省都で、人口約310万人。東清鉄道が敷設されてからは帝政ロシアのもとで急速に発展。現在、新潟との姉妹都市。この松花江を渡るロープウエイもある。世界でも珍しいのではないか。外国人は50元と書いてある。その松花江に沿ってホテル前の広場から左右に歩道がずーと延びている。長いポプラ並木の散歩道だ。
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<解説>松花江
アムール川最大の支流。長白山系の最高峰、朝鮮語では白頭山と呼ばれる長白山の山頂火口のカルデラ湖(天池)から発し、原始林地帯を貫き吉林省を北西に流れ、松嫩平原に入り、白城市(大安市)で北東に流れを変える。吉林省と黒竜江省の境の東北平原を流れてから黒竜江省に入り、ハルビン市街区のすぐ北を流れる。その後三江平原の湿地帯に入り、ロシア国境の黒龍江省同江市付近でアムール川に合流する。
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松花江の反対のほうに少し歩くと、ロシアの雰囲気の建物が見えてくる。
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ハルビン市人民防洪勝利記念碑 |
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9:00より正式なハルビン観光開始。ホテル前の広場をまず見学。先ほどの搭がハルビン市人民防洪勝利記念碑。近年3回の大洪水時の水位を示している。1932年、1957年、1998年の夏に洪水が起きている。
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松花江を渡る |
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ホテルの前の松花江の向こうには太陽島が見え、これから訪問する。遊覧船もあるが、我々は10人乗りくらいのモーターボートに乗り込む。下流の方には鉄道の橋が長々と川を横切っている。この鉄道はシベリアに通じている。船中の話題として、長七が米国、ブラジル、欧州を訪問し、シベリア経由での帰り道、同じところを通過した可能性があるかもなどと話し合う。
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太陽島の川岸では多くの子どもたちが川で水遊びをしている。冷たくはないのだろうか。
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この島は昔ロシア人の別荘地が多くあったそうだ。ガイドは、これからパスポートが必要だという。これから入るロシアの建物がある公園の入場チケットがパスポートの形状をしている。ロシア人系の人が穴を開けてくれる。俄羅斯風情小鎮(ロシア風情小鎮)という。ロシア人の別荘として使用していた建物を利用して売店やロシアの昔の生活などが分かる。
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いくつかの建物に入る。建物は小さく、特長のある形をしている。これがロシアの一般家庭の家のようだ。ロシアの政治家たちのマトリョーシカが並べてあるが、5人全部がなかなか特定できない(右から2人目が議論の対象)。
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ロープウエイの駅に向かって歩き始める。歩道に沿ってライラックの植木が続いているが、すでに花は終わっているようだった。しかし、一つだけまだ白い花を咲き残しているのがあり、花の香りをかぐ。良い香りだ。柳の白い綿が雪のように舞っている。柳糸と言われるものだ。吹き溜まりに雪がたまっているようなところがあり、写真に撮る。右端は白い綿の正体か。
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リスがあちこちに見える。リスのことを松鼠と呼ぶという。 |
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<解説>
中国語では、リスは「松鼠」(ソンシューまたは「灰鼠 」フェイシュー)という。栗鼠とは書かない。現在の中国では「栗鼠」ではなく、むしろ「松鼠」を使う。
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松花江を渡るロープウエイ |
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11:10に、帰りのロープウエイに乗る。約13分ほどだが、川を渡るロープウエイから太陽島の全体が上方から見渡せる。
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火鍋の昼食 |
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12:10に昼食のお店に向かう。ガイドが、中国で一番古いビール工場は青島ではなく、ここハルビンだという。また、ビールの消費の多い都市は、1位がミュンヘン、2位がモスクワ、3位がハルビンだという。
12:30から14:00ちょっと前まで火鍋の昼食。牛と羊。麺2種。野菜多種たくさん。中国製のたれも多種あったが、醤油と黒酢を頼む。おいしかった。 |
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中央大街 |
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14:00から銀ブラではなく、中央大街で金ブラを楽しむ。なぜ金というのかは聞きそびれた。晴れて暑い中を古い建物を写真に撮りながら進む。ここにも361°というお店がある。
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<解説>
中央大街は、アジア最大の石畳の目抜き通り。ロシア語でキタイスカヤと呼ばれ、昔は中国人街であった。その規模は、全長1450m・幅21.34m。
ロシア統治時代の建築物が数多く残され、「東方のパリ」とも称される西洋風の街並みが一直線に松花江に向かい、南は経緯街(十字街)から北は松花江防洪記念塔まで伸びている。道をはさみ、欧州風建築物が建ち並び、ほかに、ルネサンス式、バロック式、折衷式など中国でも珍しい多種多様な市指定建築物がある。2006年にはモダンなショッピングセンター「EURO
PLAZA」がオープンした。
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聖ソフィア大聖堂 |
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14:30から聖ソフィア大聖堂を見学。当時の写真や模型が飾られている。外に出ると写真撮影用のモデルたちがいたり、結婚の写真撮影を撮っていたりして、写真撮影のベストスポットになっているようだ。
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<解説>聖ソフィア大聖堂
日露戦争の終戦2年後にあたる1907年3月、帝政ロシアの兵士の軍用教会として創建された。その後もロシアの茶商人などが出資で拡張し1932年に現在の姿に。現在はハルピンの開拓期の写真をはじめ、絵画、教会堂などの模型が展示されており、観光名所となっている。高さ53.35m、建築面積721m、ビザンチン建築の影響を受け、平面がラテン十字形。約2000人が収容できる規模である。最上階の鐘楼には音の異なる7つの鐘がある。内部の壁は痛みが激しく古色蒼然。窓ガラスにはステンドグラスは一切使われていない。豪華なシャンデリアは特に壮大である。
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ハルビン駅に向かう |
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15:00からハルビン駅に向かう。ここも中心地は大きな都市、ビルの街だ。古い建物、新しい建物が混在している。
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ハルビンから長春へ |
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少し早めに着いた。夜とは違い活気に満ちた駅前で、人であふれている。駅前はやはり高層ビルが建ち始めている。この辺にハルビンのヤマトホテルがある。まだ時間も早いと言うので、ハルビン駅の中にある歴史展示会場を案内してくれた。満鉄時期の写真と伊藤博文の写真もある。ハルビンはソーセージでも有名で、駅のお店にソーセージが冷蔵庫に保存されていた。太目のソーセージだ。
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16:40ハルビン発の新幹線で長春に向かう。プラットフォームに伊藤博文の暗殺の記録があるはずだと窓から探したが見つからなかった。
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<解説>
明治42年(1909年)10月、ロシア帝国蔵相ウラジーミル・ココツェフと満州・朝鮮問題について非公式に話し合うため訪れたハルビン駅で、大韓帝国の民族運動家安重根によって狙撃された。安はロシア官憲にその場で捕縛された。享年69。11月4日に日比谷公園で国葬が営まれた。ハルビンで暗殺される前の歓迎会でのスピーチで「戦争が国家の利益になることはない」と語っている。
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今回の乗っている時間は、長春までなので来るときの半分。外は明るいので、車窓の外の大平原を楽しむことができた。大平原とはどこまでもずーと平らで小さな丘もほとんど見えないということだと実感できた。
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長春に着き、ホテルまで |
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時間通りに長春に着く。新しい現地ガイドは単さん。18:47に車に乗りホテルに向かう。
車中ガイドの単さんはいろいろと紹介。長春は、東北で3番目の都市。1番は瀋陽、2番はハルビン、3番長春、4番大連だという。片道2車線で、内側が黒松、外側がポプラの2段の並木が続いている。電柱は地下に埋められている。東西南北20kmの都市。長春では柳やポプラの白い綿が空中を舞っているのを「6月の雪」と呼んでいるという。自動車産業が中心。ガイドは農協に勤めていたが、つぶれたので旅行のガイドになったと言っていた。
19:10にホテルに着き、チェックイン。夕食に出かけるためロビーで待っていると、聞き覚えのある曲を若い女性がピアノで弾いている。「冬ソナ」だ、中国で聞けるとはと。
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夕食は韓国料理。その韓国レストランが見つからず、同じところをくるくる回り、路地に入り込んではバックで戻る。車内は険悪なムード。とうとう運転手が現地ガイドに代わり、直接韓国レストランに携帯で電話をして、やっとたどり着く。部屋に入るとすでに焼かれて焦げがついているお肉が冷たく並んでいた。焼肉料理でなく、こげ肉料理になっている。現地ガイドが部屋に入って来て、ニコニコしながら、「本日は大変でしたね」と話しはじめる。強い言葉で、文句を言うが、柳に風のように相変わらずニコニコしている。怒るほうも拍子外れ。
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懇親会 |
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21:30に今回のまとめ役の部屋で懇親会が始まる。現地ガイドがお詫びとしてスイカを差し入れてきている。
ハルビンのお土産屋で売っていた鹿の角の薄い輪切が話題になる。鹿は毎年角が生え代わるそうで、その若い角を薄く切って精力剤に使うそうだ。
23:00解散。 |