3.(南側奥・旧武家屋敷地へ)牛込住宅地、最高裁長官公邸、宮城道雄記念館、新暦調御用所(天文屋敷)跡、光照寺: |
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大きなしゃれた住宅が多くある場所になった。 |
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最高裁長官公邸の前には警備のおまわりさんがいる。立派な壁で囲まれている。黒塀ではないが。 |
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宮城道雄記念館の周囲だけを見学。
8歳にして失明の宣告を受けた宮城は、箏曲の世界に自らの道を定め、生田流の二代中島検校に入門しました。そして弱冠14歳で処女作「水の変態」を作曲。この曲によって、彼は日本の音楽史に輝かしい1ページを書き加えたのです。1956年6月25日未明、大阪の公演へ向かう途中、愛知県刈谷市の刈谷駅付近で夜行急行列車「銀河」に付き添いで同行している義姉と共に乗っていたが、この列車の昇降ドアから外へ出て列車の外に転落した事が原因で死亡した。 |
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公式ホームページやフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』からの情報。 |
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日本出版クラブ用地にある新暦調御用所(天文屋敷)跡の説明の碑を皆で読む。そばの銀杏の黄葉がすばらしく、冬空に映えている。 |
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光照寺、牛込城跡。この光照寺一帯は戦国時代にこの地域の領主であった牛込氏の城跡地とされている。牛込氏は赤城山の麓上野国(群馬県)勢多郡大胡の領主大胡氏を祖とし、天文年間(1532~55年)に当主大胡重行が南関東に移り、北条氏の家臣となった。 |
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安永、文政の文字が刻まれている供養塔を見、鐘楼堂の前を通り過ぎる。 |
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旅先で客死する例が多く、旅籠屋での病死者をとむらうための諸国旅人供養碑と塔など。
江戸時代中期の狂歌師便々館湖鯉鮒(べんべんかんこりう)の墓の碑(代表作には「三度たく 米さへこはし やはらかし おもふままには ならぬ世の中」)
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