85周年会の「まち歩き」第4回記録
  『神楽坂・・歴史の小道をぶらり』

  85周年会第17回まち歩き&忘年会

【神楽坂・・歴史の小道をぶらり】
新旧のお店、三業地(クリックで説明あり)から高級住宅地まで、文学から宗教まで・・いろいろな顔を併せ持ち、歴史と懐かしさをヒューマンな世界で感じ取れる神楽坂・・懐の深い、発見の多いまちです。

日 時 2009年12月19日(土)2時~5時

コース:JR中央線・飯田橋【西口/神楽坂口】に集合。
1.(出発)牛込御門跡---外堀揚場
2.(神楽坂下よりのぼり始め)南側の雑居飲み屋街を経て、神楽坂の路地を楽しむ
3.(南側奥・旧武家屋敷地へ)牛込住宅地、最高裁長官公邸、宮城道雄記念館、新暦調御用所(天文屋敷)跡、光照寺
4.(大久保通りを超えて西へ)地蔵坂、袖摺坂、尾崎紅葉旧居跡、円福寺
5.(神楽坂上を越えて北側へ)赤城神社
6.(大久保通りから坂中程へ)瓢箪坂、築土八幡神社、料亭街、露地、石畳、毘沙門天を巡る
まち歩きのあとは今年を振り返ってゆっくりと飲みながら会話を楽しみましょう。
3時間、約7,000歩の行程。


参加者は、26名でした。

サーまち歩きスタート。

1.(出発)牛込御門跡---外堀揚場: 
JR中央線・飯田橋【西口/神楽坂口】に集合 昼間の神楽坂方面を飯田橋駅前から。
 
駅前に集まるとすぐ話を始めているので、飯田橋駅近辺の牛込橋や牛込御門跡をチェックする人もあまりいないようだ。
駅2時を少し過ぎた頃、ばらばらと歩き始める。牛込橋を通り過ぎ右手に曲がり100mほど行くと、そこは外堀(牛込)揚場だ。牛込揚場の埋め立て記念碑には、「江戸時代には海からここまで船が上がってきた。全国各地から運ばれてきた米、味噌、醤油、酒、材木などがこの岸で荷揚げされたので、この辺は揚場と呼ばれた。」昭和47年に飯田濠は埋め立てられたが、要望で約230mのせせらぎが作られた。濠は地下の暗渠で繋がっている。 前に集まるとすぐ話を始めているので、飯田橋駅近辺の牛込橋や牛込御門跡をチェックする人もあまりいないようだ。

2.(神楽坂下よりのぼり始め)南側の雑居飲み屋街を経て、神楽坂の路地を楽しむ:
外堀揚場から外堀通りの反対側に渡る。入り口は意識しないとわからない二階建て雑居飲み屋街の階段を登り、まだ開いていないお店を見学しながら神楽坂の路地に降りていく。  
 
しばらく路地を歩きながら、粋なお店の構えや飾りを見ていく。  






芸者小道とは粋な名前だ。

3.(南側奥・旧武家屋敷地へ)牛込住宅地、最高裁長官公邸、宮城道雄記念館、新暦調御用所(天文屋敷)跡、光照寺:
大きなしゃれた住宅が多くある場所になった。
 
最高裁長官公邸の前には警備のおまわりさんがいる。立派な壁で囲まれている。黒塀ではないが。
 
宮城道雄記念館の周囲だけを見学。
8歳にして失明の宣告を受けた宮城は、箏曲の世界に自らの道を定め、生田流の二代中島検校に入門しました。そして弱冠14歳で処女作「水の変態」を作曲。この曲によって、彼は日本の音楽史に輝かしい1ページを書き加えたのです。1956年6月25日未明、大阪の公演へ向かう途中、愛知県刈谷市の刈谷駅付近で夜行急行列車「銀河」に付き添いで同行している義姉と共に乗っていたが、この列車の昇降ドアから外へ出て列車の外に転落した事が原因で死亡した。     
公式ホームページやフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』からの情報。
 
日本出版クラブ用地にある新暦調御用所(天文屋敷)跡の説明の碑を皆で読む。そばの銀杏の黄葉がすばらしく、冬空に映えている。
 
光照寺、牛込城跡。この光照寺一帯は戦国時代にこの地域の領主であった牛込氏の城跡地とされている。牛込氏は赤城山の麓上野国(群馬県)勢多郡大胡の領主大胡氏を祖とし、天文年間(1532~55年)に当主大胡重行が南関東に移り、北条氏の家臣となった。  
 
安永、文政の文字が刻まれている供養塔を見、鐘楼堂の前を通り過ぎる。
旅先で客死する例が多く、旅籠屋での病死者をとむらうための諸国旅人供養碑と塔など。
江戸時代中期の狂歌師便々館湖鯉鮒(べんべんかんこりう)の墓の碑(代表作には「三度たく 米さへこはし やはらかし おもふままには ならぬ世の中」)

4.(大久保通りを超えて西へ)地蔵坂、袖摺坂、尾崎紅葉旧居跡、円福寺:  
光照寺から出て、地蔵坂を下っていく。
   
幅1mちょっとの袖摺坂を一列になって昇っていく。片側は工事をしている。
 
尾崎紅葉旧居跡は少し奥まった路地の先にあった。
鳥居宅で代表作の「金色夜叉」を執筆した。 懐かしい土の路地の地面の写真
 
江戸三祖師の神楽坂円福寺を見学。碑の中に「小石川」の文字を見つけて写真を撮る。

5.(神楽坂上を越えて北側へ)赤城神社、筑土八幡神社:   
赤城神社は時代の流れを激しく受けたようで、マンションが敷地内に建てられている。細い曲がりくねった仮設通路を通ってミニチュアの神社が待っていた。

赤木神社は、光照寺、牛込城跡、牛込氏、大胡氏の赤城山と関係があるようだと納得。

6.(大久保通りから坂中程へ)瓢箪坂、築土八幡神社、料亭街、露地、石畳、毘沙門天を巡る:
瓢箪坂を通って築土八幡神社に向かう。
   
築土八幡神社に着いたが一部の人がなぜか行き別れしているようだ。いつか会えるだろうと階段を登っていく。
 
明神型の石造鳥居は享保十一年(1726年)に建立された。 百度石と庚申塔(最上部に日月、中央部には一対の雌雄の猿と桃の木を配する)が、神社お約束の大きな銀杏の木の下に目立つようにたたずむ。
 
料亭街は若い女性が多く、お店を選んでいる。

 
少し暗くなってきた。神楽坂のちょうちんにも明かりが入っている。 毘沙門天 善国寺をお参りする。これで本日のまち歩きの主要ポイントは完了。 路地をゆっくりと歩きながら、忘年会場の「心」に集合。

忘年会
忘年会では、今年の新加入の人をはじめ各自自己紹介をしながら、会話とお酒を楽しむ。8時には最後まで残っていた23人での記念写真を撮る。


2次会はワイン酒場(バー)。

3次会はカラオケでした。
相変わらずまだまだ元気に夜更かしをしています。無事に帰宅できますように。   
 
来年も元気にまち歩きを楽しみましょう。
 
   
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