高橋お伝
嘉永元年(1848年) - 明治12年(1879年)1月31日
仮名垣魯文の「高橋阿伝夜叉譚」のモデルとなった女性である。上野国利根郡下牧村(現群馬県利根郡みなかみ町)出身。「明治の毒婦」と称された。
略歴
1848年 誕生、生後すぐに養子に出される(生年を1850年・1852年とする説もある)。
1867年 高橋浪之助と結婚
1872年 高橋浪之助がハンセン病発病後死去。毒殺などと言われるが実際には彼女は看病しており、当時の「毒婦物」の流行の為に脚色されたに過ぎない。その後小川市太郎と恋仲になる。
1876年8月27日 東京・浅草蔵前で金を目的に古物商後藤吉蔵を殺害。
1876年9月9日 強盗殺人容疑で逮捕。
1879年1月31日 裁判で死刑判決が下る。市ヶ谷監獄にて死刑執行。8代目山田浅右衛門の弟吉亮により、日本における女性死刑囚最後の斬首刑に処された。墓所は谷中霊園、なお、墓は、小塚原回向院にも、片岡直次郎・鼠小僧・腕の喜三郎の墓に隣接して墓石が置かれている。 伝の墓に参ると三味線が上達するという評判があり、三味線を習う者の墓参が伝逝
モデルにされた作品
歌舞伎:河竹黙阿弥「綴合於伝仮名書」(1879年、新富座、高橋お伝:尾上菊五郎 (5代目))
小説:仮名垣魯文「高橋阿伝夜叉譚」(1879年)
他多数
伝の墓に参ると三味線が上達するという評判があり、三味線を習う者の墓参が現在もある
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