1945年8月6日・ヒロシマ 「チンチン電車と女学生」 
著者 : 堀川惠子、小笠原信之
日本評論社 2010年刊

 鉄ちゃんとは聞いていましたが、チンチン電車まで追いかけているのですか?
いえいえ、これは広島の話で・・。
あっ、私も行きました。あそこは本当にいろいろなチンチン電車が走っていますね。
いえいえ、これは1945年8月までの3年間、女学生たちがそのチンチン電車を動かしていた事実を掘り起こした本なのです。
えっ、1945年8月って原爆が落とされた年じゃないですか? その頃女学生がチンチン電車を動かしていたんですか?
そうなんです、男たちは戦場にかり出されていったのでその穴を埋めるために、広島電鉄は「家政女学校」という学校兼養成所を作り、生徒たちに車掌ばかりでなく運転まで任せたのです。 たった3年間しか存在しなかった学校ですから歴史に埋もれてしまっていたらしいのです。
鉄ちゃんの話ではなく、戦争の話なんですね。
広島テレビのディレクターの堀川さんが、それをていねいに掘り起こし、「チンチン電車と女学生〜2003・夏・ヒロシマ」(ナレーションは吉永小百合)というタイトルで2003年に放映。 この番組は民間放送連盟賞最優秀賞を受賞しますが、その審査にあたった小笠原さんが、番組の内容に更に堀川さんの掘り起こしのドラマを加えて本にしたものなんです。
女学生がチンチン電車を動かしていたこと、興味ありますね。
今なら高校生ですよ。 彼女らが大人に混じって電車を動かすのは、大変だったと思います。 トロリーバスのようにポールで電気を取っているタイプの電車なんか、ポールが外れると大変な力作業で泣いてしまった生徒の話なども紹介されています。
そうでしょうね。
その彼女たちの奮闘も8月6日まで。 この本でも被爆の惨状が詳しく描かれています。 運転台で骨となった女学生。 寮等で被爆した仲間を助ける女学生たちの姿も書かれています。
なるほど。
このチンチン電車、なんと被爆3日後には運転再開をしたそうです。もちろん距離は短かったのですが、電車が動いたということは被爆された人たちに希望を与えたようです。 しかもこの再開第一号の電車の車掌は女学生の一人だったんです。
その後はどうなったんですか?
学校は閉校。 復員してきた男の人たちがまた運転するようになっていきます。
そして彼女たちは忘れられてしまったというわけですね。 この物語が発掘されるまでのドラマも興奮しますね。
きっかけは、堀川さんが別の取材で訪問した広島電鉄で被爆電車を知り、そこから少しずつ「少女たち」が姿を見せてきたそうです。 なんか彼女たちの思いが堀川さんを捕まえたように思えて仕方ありません。
チンチン電車と女学生。戦争と平和について色々考えさせてくれますね。
その顔、まだ何かありそうですね ・・・。
別の本ですがここを見て下さい。
経歴欄ですね。 同窓生ですか? でも普通最終学歴のみしか書きませんよね。
きっと素晴らしい高校時代を送ったのではないかと思います。 時代は違っても、まさにその年代の少女たちを見る目は、温かいものだったと思いました。
   小駒(018)
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