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戸叶 司武郎 (とかの しぶろう) 027回卒
この度、故俵前会長を引継ぎ 紫友同窓会会長となりました戸叶司武郎です。 2019年5月25日の評議委員会では委員の皆様から会長職への信任を頂き、誠にありがとうございました。
五中・小石川は平成の終わりに百歳になり、令和元年と共に101年目がスタートしました。 この節目の時に会長を務めさせて頂く重責を受けとめ、母校の発展と、小石川らしい「新しい同窓会」の形を作っていくことに、全力で取り組んでまいります。
なにが「新しい」のか、どこが「小石川らしい」のか、それを同窓生の皆様と一緒に形作っていくことが、会長としての一番の仕事と考えております。
皆様のご支援を引きつづきよろしくお願い申しあげます。
自己紹介
027C組、昭和50年3月卒業です。令和元年度中に63歳になる学年で、在学中は剣道部でした。 「戸叶」を紫友web名簿で検索すると、自分以外に5人の同窓生がいます。 そのうちの2人は亡くなった伯父 と 父 (五中19Cの柔道部、平成最後の月、4月に95歳になりました)です。 同姓同名の人には一度も会ったことがありません。
大学は技術系ですが就職難で楽器メーカーに営業職で入社し、20年経ったら営業と技術の間にある知的財産部に流れ着いていました。 紫友95周年実行委員会に参加したのを機に会社を早期退職し、いまは業務用通信カラオケ会社の音楽著作権顧問と、卒業した大学の非常勤講師と、妻の演奏活動のマネージャーをしています。
高校時代の思い出
小石川では「ボーッと」していました。ボウリングとビリヤードとときどき剣道をして、FMラジオから録音した歌謡曲(当時はニューミュージックとかJPOPという言葉が無かった)を2台のカセットデッキで編集する毎日で、クラスとクラブ以外の人とはほとんど接触していませんでした。唯一目立ったのは、スェーデンリレーのアンカーで400mを走って、推定最下位から一位でゴールしたことぐらいかなぁ。
中学・高校の6年間で欠席は1日だけ。その1日も高校2年の秋に、修学旅行の最終日の夜に京都駅でみんなと別れて、1人で5日間の関西旅行をしたときです。勉強はしなかったけど学校は大好きだったんだと思います。
紫友同窓会との関わり
25歳頃、楽器の営業マンとして訪問した家のお父さんがものすごく怖い人で、「お嬢さんのために」といくら薦めても取りつくしまもなかったのですが、小石川の後輩とわかった瞬間に高額のエレクトーンをその場で契約して下さり、お寿司もご馳走になりました。
その017の先輩とは20年にわたってお付き合いを頂き、45歳の春に先輩命令で、85周年CD 「我らは伊藤長七の教え子だった」 の制作を手伝ったのが始まりです。 90周年は仕事がパンパンでお手伝いできませんでしたが、95周年では実行委員会副委員長、100周年では副会長(紫友交流室担当) ・・・と、同窓会にどっぷりと浸っています。
小石川で得たもの
自由の大切さ、創意工夫して自分で道(解決策)を作っていく楽しさです。 高校時代から30代までは剣道部のOB・OGや斉藤薫&茂先生をはじめとする歴代顧問の先生から、40代後半からは85周年実行委員 (現「紫友まち歩き」メンバー) の諸先輩から、様々なことを教えて頂きました。 いまの自分がストレスに耐えて明るく生きていられるのは、本当に小石川のおかげと感謝しています。
小石川って変わってるな、とは思っていたけど完成した85周年CDを聴いたとき、加藤剛さんの言葉が心に染み込んできて、「小石川ってホントに変な学校だなー(良い意味で)」と再確認しました。
新しい同窓会の形とは?
形はまだ固まっていません。「小石川らしい」「新しい」を自分流に解釈すると、「ユニークな(他とはひと味違う)」が当てはまるのではないかと考えています。
あの頃は楽しかった、昔はよかったと懐かしさをかみしめて明日の糧にすることは、同窓会の根底にある役割です。 欧米の大学のAlumniのように、人脈を駆使して卒業生の転職・企業・ビジネスチャンス獲得を支援する機能があると、母校への帰属意識が高まります。 稲門会や三田会のように巨大な組織として地域や企業で、時には社会に大きな影響力をもつほどの同窓会もあります。
紫友同窓会会員にとって「小石川らしい」同窓会のあるべき姿を、これから皆さんと一緒に作っていきたいと考えています。
・ 同窓会の基軸は「同窓生交流」と「母校支援
母校を支援すること、同窓生が交流すること、この二つテーマは同窓会の定番であることは間違いありません。 小石川流にどのようにアレンジするかをこれから試行錯誤していきます。
母校支援には皆様からの寄付が必要です。 しかし資金援助だけではなく、知見・経験・情報の支援も不可欠です。そして支援の目的は大学合格者数やビッグコンクールに優勝して、母校のブランドイメージをアップさせることだけではありません。 次の百年を担う人材を輩出するとともに、我々の支援が「小石川を卒業して良かった」と感じる同窓生を一人でも多く増やすことです。
その気持ちを持ち続けてもらうためにも「交流」を促進します。 人生のライフステージそれぞれで、同じ年代または世代を超えて交流する企画を同窓生自らが創作・実践し、友達の輪を開拓できる仕組みを作りたいと考えています。 交流企画を試行錯誤する第1号として、紫友スタジオを昨年春に開設しました。 まずはやってみる、ダメならやめる、その為の実証実験の場です。 実践することも参加することも楽しい企画をどんどん作っていきましょう。
・ 喫緊の課題は情報発信力の向上
紫友同窓会の会員は名簿上は3万人以上、その中で mailアドレスを登録している会員は約5千人です。 このHPを見に来てくれる同窓生は決して多いとは言えません。 公式HPへの導線として、FacebookやLINE等のSNS活用、定期的なmailの発信などを早急にスタートしなければなりません。 手伝って頂けるかたを求めています。ぜひご協力をお願い致します。
・寄付と支援のお願い
100周年で皆様から頂戴した貴重な寄付は、支援と交流にたいせつに使わせて戴きます。活動を長期に継続するためには、皆様からの定期的な寄付とご支援が不可欠です。
新会長として、まだ力不足ではございますが、母校の発展と同窓会の新しい形を作るため、全力で取り組んでまいります。皆様のご指導そしてご支援を、引きつづきよろしくお願い申しあげます。

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